その後、私たち「被災地へピアノをとどける会」スタッフは、特に不自由をすることもなく、従来通りの生活を送っています。しかし、仙台を拠点に仕事をしていると、「風化」どころか「復興」という言葉さえも、まだ虚しく感じることが多いというのが実感です。
「被災地へピアノをとどける会」は、昨年6月から活動を続けております。地味で、時間のかかる活動ですが、この3月までに90台を超えるピアノ、電子ピアノをお届けすることができました。
津波で校舎が全壊、流失してしまった学校等の中には、2年後にぜひ頂きたいというご希望もあります。気の遠くなることですが、今後も微力ながらお手伝いしていきたいと思っています。
宮城県気仙沼市出身の畠山裕恵さんが、東日本復興に寄与するために「数寄屋橋音楽会」というイベントを立ち上げています。3月20日の第4回では、「被災地へピアノをとどける会」との共催で、被災地(石巻、相馬、気仙沼)出身の若い音楽家を招く音楽会を企画してくださいました。
3月20日14時~ 入場無料
第4回 数寄屋橋音楽会 「東京銀座から東日本の被災地へ 音楽の調べにエールをのせて」
東日本復興応援プラザ2階 チャリティーイベントスペース「銀座ひろがれ舞台」
東京メトロ丸の内線、日比谷線、銀座線 銀座駅C2出口
有楽町駅下車 徒歩3分
15時頃からは、「被災地へピアノをとどける会」活動報告をいたします。
東日本復興応援プラザは、8月末までの限定開設です。1階は、気仙沼を中心とした被災地のアンテナショップとなっていて、美味しいお菓子や水産加工物などを買うことができます。音楽会開催日でなくても、銀座にお越しの際にはぜひ立ち寄って頂けたらと思います。(月曜日定休、11時~19時)
以下は、数寄屋橋音楽会・発起人の畠山裕恵さんからのメッセージです。多くの方のご来場をお待ちしております。
数寄屋橋音楽会プロジェクト・発起人の畠山裕恵(気仙沼市出身・東京在住)です。私たちは、銀座「東日本復興支援プラザ」2階「銀座ひろがれ舞台」をお借りして本プロジェクトに賛同頂いたクラッシック演奏家と共に、音楽を通じて東日本へ復興のエールをおくり、被災地の特産品のPR、そして、震災の記憶を風化させないための情報発信をおこなっています。
また、活動当初より「被災地にピアノをとどける会」の後援をいただき、合同の企画も行っております。 気仙沼出身である私が、この数寄屋橋音楽会を立ち上げた時、震災を忘れないでほしいという気持ちとともにいつか、これまで支援して下さった多くの皆様に被災地からお礼の気持ちを形にした音楽会をしたいと考えていました。そしてこの3月2日、「被災地にピアノをとどける会」のご協力のもと、被災地出身のプロの演奏家と、現在東北で音楽を学んでいる学生を招き「ご支援ありがとうコンサート」をおとどけすることになりました。
その中の一人、宮城県立気仙沼高校1年の小野寺正法さんは自宅もピアノも津波で流されましたが、震災後、立て続けに国内の声楽とピアノのコンクールで上位入賞を果たしました。小野寺さんは作詞作曲も得意とし、今回、震災の後に作った自作の曲「この町を通れば」を音楽会で初演します。
------------------------------------------------------------------
命があればこその
別れならば乗り越えられるから
乾いたため息を今は飲み込んで 歩きだそう
-----------------------------------------------------------------
一人の高校生が目の当たりにしたあの震災。どれほどの想いがこの曲に込められていることでしょう。小野寺さんをはじめ、東北の若者たちがこの震災の苦難を乗り越えてくることを、心から願っています。
震災から1年。復興にはまだまだ長い時間が必要ですが、未来にむけて歩みだした、若き東北の音楽家の演奏からその一歩を感じていただけましたら幸いです。
数寄屋橋音楽会 発起人・実行委員長 畠山 裕恵
【東日本復興支援プラザ】の説明
(震災から立ち上がった被災地の企業や個人商店の物産品の販売)
*2階 震災の情報発信のイベントスペース「銀座ひろがれ舞台」
(一般人の復興支援イベントに無償で貸し出されています)