「被災地へピアノをとどける会」副委員長の吉川です。
8月26日、「とどける会」も共催させて頂いている第9回「数寄屋橋音楽会」が無事終わりました。会場となっていたビルが取り壊されるため、銀座では最後の開催となりました。
第3回に出演されたオーボエの五味田由貴子さんと実行委員の中村圭子さんのピアノによる演奏の後、吉川が「とどける会」の活動の現状についてお話しました。沿岸部の仮設住宅からの支援希望が増えていること、ピアノを動かすのには大きなお金が必要であり、資金が乏しくなりつつあること、被災地支援のためにはまだまだ皆さまのお力添えが必要であるなどということが主な内容でした。
大垣でお世話になったソプラノの山中敦子さんにご出演頂きました。山中さんと大垣のお仲間のご尽力によって、岩手県に2台のピアノをお届けいたしました。
その岩手に因んだ「初恋」、名作「かやの木山」の日本歌曲2曲の後、イタリアとオーストリアとスペイン風味フランスの華やかなレパートリー。榊原紀保子さんのピアノによる素晴らしいサポートもあり、楽しく盛り上がりました。
音楽の3つめのステージは、富永佐恵子さんのチェロでバッハ無伴奏組曲第3番より。
心のこもった生き生きとしたバッハ。数寄屋橋音楽会の最後がバッハ無伴奏とは!
数寄屋橋音楽会は、決して浮ついた気持ちで続けられていたのではありません。「大人の」催しらしいこういう終わり方も素敵です。
アンコールでは、満を持して(?)数寄屋橋音楽会主宰の畠山裕恵さんがピアニスト
として登場。山中さん、五味田さん、富永さんとともに「赤とんぼ」と「少年時代」を演奏しました。この2曲、私が楽譜を整えさせてもらったのですが、銀座の最後に編曲でお
役に立てて良かったです。9月9日に予定されている「数寄屋橋音楽会 in 気仙沼」では、この編曲の別バージョンが演奏されます。
このように、音楽はとても充実していましたが、「数寄屋橋音楽会」の目玉であるトークは、さらに意義深いものでした
ゲストの斉吉商店(とても美味しい「金のさんま」という商品で知られています)専務・斉藤和枝さんとジャーナリストの鈴木美穂さんによる被災と再生のお話は鬼気迫るもので、自分がその場にいたとしたらどうだっただろう…と胸を打たれました。
山中さんは当時留学中のイタリアで震災を知り、インターネットのニュースを見ながら毎日泣いていた、帰国して矢も楯もたまらず石巻へ行ってボランティアをしたという心情を語ってくださいました。「できる人が、できることを、できるだけしていこう。」という思いは、誰にも通じることだと思います。榊原さんは、震災で中止せざるを得なかった高田高校でのこんにゃく座公演に同行して考えたことを率直に話してくださいました。震災後、高田に赴いたことのある人は、ある種の共通した思いを抱くように思われます。
富永さんは、震災当日仙台フィルのお仕事で仙台市青年文化センターにいらして、震災に遭遇。当日仙台にいた身としては、眼前に当時のことが甦ってくるような心持でした。
立場はみな違いますが、それぞれ深い思いに裏打ちされたお話で、客席の誰もが感銘を受けられたことと思います。
ご来場くださったピアニストの粟津礼子様が「音楽を通じて心がなごみ、震災のお話に泪し、会場が一つになったという一体感を感じました。」とメールに書いてくださいました が、まさにそのとおりの2時間半でした。ご自分のお仕事を持ちながら、ここまで「数寄屋橋音楽会」を引っ張ってこられた畠山裕恵さんには、心より敬意と感謝を表したいと思います。
この活動、終わらせてはいけないと思います。残念なことですが、明らかに「風化」は進んでいます。私たちは「とどける会」の活動をしているために、被災地からの声をヴィヴィッドに受け続けていますが、仙台市街にいてさえ「風化」の進行は止めようがないと感じることがあります。非被災地ではなおさらでしょう。
銀座の「数寄屋橋音楽会」は最後になりましたが、「ピアノを動かす」だけの団体ではなく、音楽家として出来ることを、畠山さんの力もお借りしながら、少しずつ探っていけたらと思います。
今後とも「被災地へピアノをとどける会」、そして「数寄屋橋音楽会」に篤いご支援を賜りますよう、切にお願い申し上げます。
「被災地へピアノをとどける会」副委員長 吉川 和夫