2014年9月11日木曜日

あの日から~被災地にとどいた400台のピアノ~


                         「被災地へピアノをとどける会」実行委員長 庄司美知子

 あの日から3年となる2014年3月11日を、私はスペインのコリア・デルリオというところで迎えました。ここは伊達正宗が400年前に支倉常長ら使節団を派遣したところ。スペイン南部のこの町には、仙台藩士の子孫とされる多くの日本(ハポン)さんという姓を名乗る方が住んでいらっしゃいます。この方たちが中心になり、3月11日の日本時間14時46分に合わせ(現地は朝の6時46分)、祈りと合唱の追悼式に参加してくださいました。私もその会に出席しました。
 昼間は夏のようなこの地域も、早朝は凍てつくような寒さ。すぐそばを流れる北上川を思い出させるような大きな川からは風が吹きつけ、本当に寒い日でしたが、大勢のスペインの方々が集まり、黙祷を捧げ、「ふるさと」など日本の歌をしっかりとした日本語で歌ってくださいました。皆さんの目は涙でまっ赤でした。

 「私たちの祖先の故郷を想って」という言葉は、深く私の胸に刻まれました。

 震災からちょうど3年2か月目の5月11日には、PTNA(一般社団法人 全日本ピアノ指導者協会)ステップ仙台青葉ステーションを開催しました。
今回のステップには、被災地にお住まいで、私たちがピアノをお届けしたお子さんたちに参加して頂けるようお誘いいたしました。全国のPTNAの会員の皆様には震災後継続してご支援を頂いて参りました。3年という時間を経てもご支援頂けますことは本当に感謝の気持ちでいっぱいです。未だ仮設住宅で生活を続けながらも、子どもたちが音楽を辞めずに頑張っていられるのは皆様から頂いたピアノがあるからなのです。今回参加して下さったのは私が初めて(2011年4月30日)訪ねた南三陸町歌津の避難所で出会ったお子さんたちでした。



 5本のピアニカとピアノ伴奏で坂本浩美の「旅立ちの日に」を演奏いたしました。<全国のみなさんありがとう>と書いた可愛いメッセージカードを前に立て、伴奏のピアノが流れ出しました。あのときの子がこんなに大きくなってこんな曲も弾けるようになったのね、こんなにきれいな音が出せるのだ・・・と思ったとたんに、あの時の避難所で駆け寄ってきた姿がかぶってしまい、涙なくしては聞けませんでした。この子たちは仮設住宅から3時間以上車にゆられて仙台まで来て下さいました。今回ご指導くださった高橋佳江先生のお家は、お父様が民宿を経営なさっておられ、震災の翌日隣町まで道なき道を歩いて、歌津の町を助けてくれ!と頑張った方と聞いております。 昨年グランドピアノを高台にある民宿高倉荘の大広間に置いて頂きました。ここに放課後子どもが集まって、順番を待って練習をしていると聞いております。この子どもたちがピアノを弾きたいと声を上げてくれなかったら、被災地に音楽は流れてはなかったと思います。
 私たちの活動はピアノをお届けすることは勿論ですが、こうして音楽を続けている子供たちの行く末を確かめながら、さらに音楽を続けて行けるよう支援していくことがこれから大切になると思います。

  「被災地へピアノをとどける会」 も、この6月で活動開始から3年を迎えました。
義捐金は、日本各地はもちろん、世界の各地にお住いの方々からも寄せられております。ピアノをお届けするということも あり音楽家からの支援はとても多く、特に若い音楽家の皆さんがチャリティーコンサートを開催し支援金を送ってくださるのは大変嬉しいことです。

 全国の、いや世界中の方々のお力を頂き、ピアノは被災地の学校、保育所、公民館、個人の方々にお届けが続いております。この活動に終わりがあるのかと思うくらい、未だにピアノを必要としている場所はあります。新しい土地を得ることも難しく移転も決まらない学校、統廃合される学校と、現地の事情は涙なしには語れないことがたくさんあります。

 まして個人の方がピアノを取得するのは、まわりに対しての遠慮もあります。まだまだ仮設住宅での生活を強いられている方がたくさんいらっしゃいます。

 この活動を通して、私たちはいろいろなことを見ました。ピアノを送り出してくださる方のご家族のピアノを囲んでの楽しい思い出。ピアノを買ってくださったご両親への感謝の気持ち。亡くなったご家族がずっと弾いていらしたピアノ。ピアノはご家庭の思い出をずっと見てきました。その深い想いを添えて新しいところへ運ばれたピアノは、また次の思い出をたくさん見ていくはずです。

 震災直後は、粗大ごみのように使えないピアノが送られたケースもありました。それでも、使えないようなピアノで我慢して授業をしていた学校もたくさんありました。必要なところに必要なものを。皆さんが心地よく使えるものをお届けしていくのが私たちの役目です。そのために、お引き取りさせて頂くピアノはかなり厳しいチェックをさせて頂いております。ご不快に思われた方もいらっしゃるかも知れませんが、どうぞお許しください。お預かりしたピアノは、仙台の倉庫で内部までしっかりと調整し磨きをかけ、ピカピカの新品のようになって、多くの方の元で息づいています。

 これまでの私たちの活動記録をきちんと整理しておかなければと思いながらも、1日も早くピアノをお届けする作業に追われて3年半も経ってしまいました。
多くの方々の大きなお支えによって、この会は成り立ってきました。そして、裏で黙々とピアノを調整してくださる調律の方、ピアノ運送に汗を流してくださる方、配送の手配をしてくださる事務窓口の方。本当に心から感謝を申し上げます。
 
 活動開始以来、総計400台のピアノをお届けすることができました。しかし、支援希望のお問い合わせは続いているものの、ピアノ寄贈のお申し出はめっきり減りました。ふさわしいピアノをお預かりできるまで、支援希望の方には長い時間お待ち頂いているのが現状です。まだまだ被災地ではピアノが必要であることを、あらためてお知らせしたいと思います。

 失くしてしまったピアノ、またほしいよ! と、なかなか手を挙げられない方々のために、私たちはさらにきめ細かい活動を進めていきたいと思っております。東北のあちらこちらからもっともっと音楽が流れてくることを願ってやみません。
                                                 2014年9月11日

ピティナ ピアノステップ ニュースもご参照ください。
http://www.piano.or.jp/step/news/2014/05/23_18008.html